密教大光華
密教とは
密教とはなん何でしょう?密教とは、顕教と違い本に書かれていないような秘密の法を上師より一対一で口伝える教えです。秘密の法は密法と言い、宇宙の真理です。日々密法を修行することで、悟りを開くことができ、無上の智慧を得、解脱の究竟に達することが出来ます。
佛菩薩はこの世のすべてを「塵土(じんど)」として見ます。高いビルを建てたり大きな家に住んだとしても最終的にはすべて「塵土」となるのです。地位、名誉がいくら高くてもこれもいずれ「塵土」となる。世界で一番の富貴を得ても、夫妻思愛であっても「塵土」となっていきます。世間一切における凡人俗事の全てのものは永遠に「塵土」と化すのです。
唯一、超越を得られる方法は密教を修行することでしかありません。密法を修行することによって心霊力を超越し、小宇宙と大宇宙が合体したときに、円満自在・光明な境地に入り、そして無上の大智慧を得ることが出来ます。しかし、密法を習得するには、法を教えていただく根本上師が必要なのです。根本上師無しでは秘密の法の伝承を承ることが出来ません。伝承を承るには、まずは灌頂式(かんじょうしき)を受けなければなりません。
灌頂
根本上師に皈依灌頂を授受することによって、「佛」との縁を結ぶことができます。このことによってはじめて密法を学び修行を開始することができます。根本上師が灌頂することで、大宇宙の意識は佛の智慧光明と行者を交流させ、無上覚悟の修行の始まりにおいて良い佛種子を行者に与えることが出来るのです。そしてこれにより修行者の一切の障害や汚染・悪縁・霊障は浄化・除去され、善縁を結ぶことができるようになります。また根本上師と諸佛・諸菩薩の加持力によって、病気・災難・交通事故・悪運悪縁・厄運・怨念等が取り除かれる。心身の安らぎ、家庭円満、身体健康、病気平癒、延命増寿、子宝成就、学業向上、商売繁盛、災難消滅を得ることができるのです。
根本上師の手印加持によって、まず灌頂者は「羯磨曼荼羅(かつままんだら)」と相応します、即ち如来の「身密」です。次に如来の真言の加持で灌頂者は「法曼荼羅」と相応します、即ち如来の「口密」。最後に法主の観想加持で灌頂者は「三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)」と相応します、これは即ち如来の「意密」です。この「身・口・意」の三密加持力を得ることによって、修行者は即身成佛できるようになるのです。このように皈依灌頂は、根本上師の慈悲と大法力による三密加持で衆生に利益をもたらす大切な灌頂なのです。
皈依灌頂の真の意味
灌頂とは、本来、聖水を頭頂にかけるインド国王の即位式で行われた偉大なる儀式でした。これが後にお釈迦様によって仏教の中に取り入れられたのです。密教においては、さらに数々の灌頂がありそれぞれ重要な意味を持っています。皈依灌頂とは「成仏のはじまり」「修行をして自らの悟りを開くための準備」「俗世を解脱し、聖人の境地に達すること」「自らの悟りを開き、衆生を導くこと」即ちそれは「自覚覚他」「利益衆生」です。つまり皈依灌頂は、非常に神聖で崇高なる儀式。「皈依灌頂」を根本上師より授受すれば、真の佛弟子と成り得ます。
修行前の心構え
行者が修行前に必ずするべきことは沐浴です。体を浄める事、そして出来れば斎食にする。食べ過ぎないよう、清浄食を摂ります。歯を磨き、身口意を浄めること。壇城に入り、身心霊安静状態を保ち、リラックスします。意識を静かな湖面のように平静状態に、鏡面のように澄み渡らせ、呼吸を整えます。もし頭の中が煩悩で一杯であったり、心配することがたくさんあると修行相応は難しいのです。あるいは怒ったり、感情が動揺している最中も修行は禁じられています。また、運動後の修行も同じです。「無心」「無事」の状態が一番最適なのです。
四無量心観
四無量心は慈悲喜捨の心です。「慈」は衆生に快楽を与え、「悲」は衆生の苦しみを除く。「喜」は計り切れない歓喜心で行うこと。「捨」は慈悲喜を行うために自分の全てを捨てること。慈悲喜捨の心を持つことを「四無量心」と言います。
「捨」の本当の意味は行者が自己の全てを捨て終えたとき、そして自分の身体をも衆生のために捨てることができたときに、初めて「無我」の境地に至るというものです。「捨」の意味はとても深いのです。「無我捨」になることが一番大切なことです。心より寄捨すること。「無我捨」の実行できる人は成道、成佛できるのです。
「衆生縁」「衆生福」「衆生禄」「衆生力」を得るには「供斎(くさい)」より得ることです。「供斎」の意味は沢山の供養物や食料品を佛・菩薩にお供えすること。そしてその供養物を修行僧や信者に食べていただくことを「供斎」と言います。「供斎」は四無量心においては「捨」にあたります。「捨」の出来る人はいつでも「平和状態」を保ち続けることができるのです。行者は修行前には必ず四無量偈を唱えるのです。
- 願一切衆生倶足楽及楽因是慈無量
(がんいっさいしゅじょうぐそくらくきゅうらくいんぜじむりょう) - 願一切衆生棄除苦及苦因是悲無量
(がんいっさいしゅじょうきじょくきゅうくいんぜひむりょう) - 願一切衆生永住無苦安楽是喜無量
(がんいっさいしゅじょうえいじゅうむくらくぜきむりょう) - 願一切衆生捨愛憎住平等是捨無量
(がんいっさいしゅじょうしゃあいそうじゅうびょうどうぜしゃむりょう)
彈指
修行開始の時は必ず彈指拍掌をします。その動作には「驚醒(きょうせい)」という意味があります。佛に目覚めていただくこと。壇城内あるいは虚空中の佛、菩薩、護法金剛に目覚めていただき自分が修行する事に気付いていただくためです。
清浄
修行を始める時には、まず身口意を清め、次に自分が座る場所を清めなければなりません。そのために
- 淨口 : 嗡 修唎修唎 摩訶修唎 修修唎 梭哈
(おん しゅりしゅり まはしゅり しゅしゅり そは) - 淨身 : 嗡 修哆唎 修哆唎 修摩唎 修摩唎 梭哈
(おん しゅどり しゅどり しゅまり しゅまり そは) - 淨意 : 嗡 嚩日囉怛 訶賀斛
(おん ふぁるらだ はほほん) - 安土地: 南摩三満哆 母馱喃 唵 度嚕度嚕地尾 梭哈
(なんもさんまんど むどなん おん どぅるどぅるでぃべ そは)
を唱えます。口の業を清め、身の業を清め、意の業を清め、地神を召請して行者の修行を護持していただくのです。地神が地面を横に割って黄金光を放射して行者の座っている場所を清め、魔障を起こさないようにしていただきます。
召請
召請の意味は行者が修行するときに密壇内に主尊を招くことです。主尊以外にも、十方三世一切佛、一切菩薩摩訶薩、一切護法金剛、龍天空行、一切神衆を召請します。
召請咒・・・ 嗡 阿 吽 梭哈 (おん あ ほん そは)
行者は心のチャクラ(心輪)に開いた八葉蓮花を想念します。そしてその蓮花の上に月輪を観じ、またその月輪の中に行者の本尊の梵字があることを観じます。その本尊の梵字から光色が三度放射されてきます。その光色が行者の頭頂をスポットのように放射されることを瞑想して本尊を招きます。召請咒の意味は、大宇宙の全智、全能の表しです。「嗡」は宇宙、「阿」は如来佛、「吽」は成就。宇宙如来佛国成就。梭哈は心の中の願望が叶うという意味。その真言を「三字咒(さんじじゅ)」といいます。請佛に降りていただくことのできる最大最高の召請言です。五方佛(毘盧遮那佛、阿弥陀佛、不空成就佛、阿閃佛、寶生佛)を招く真言です。この偉大な真言を唱えると全宇宙の諸尊が必ず降りてこられます。「八葉蓮花開く、月輪に梵字あり、光三度放射」行者が佛を召請する秘密の法はこの瞑想法を用いるのです。
一般に、佛を召請する時もほとんどの場合合掌をします。合掌する意味は、「我心所願」心の中の願望を叶えていただくことです。しかし、緊急の時は、合掌ではなく印を使います。外縛印に鈎(かぎ)を用いる−金剛鈎印(こんごうこういん)です。
真言・・・ 南無金剛鈎菩薩摩訶薩 (なむこんごうこうぼさつまかさつ)
虚空中に雲があり、雲の上に修法本尊がおられるように観じます。行者の金剛鈎が虚空の中を突き抜け、高い高い虚空の中まで昇り、本尊の法座・蓮花座をその金剛鈎で「鈎住(こうじゅう)」して行者の前まで引っ張って来るのです。これが金剛鈎の秘訣です。行者が金剛鈎印をつかって無理矢理本尊に降臨していただくのです。自分の両足を「拍」します。叩く理由は行者が無理矢理降臨していただく本尊の足を動かし、緊急に降臨していただくためなのです。行者にとっては非常に大事な秘訣なのです。瞑想中に本尊は足を動かしているかどうか?これは非常に大事な秘訣となるのです。修法本尊の天衣が動いている事を瞑想します・本尊の目が行者を見ている・本尊が持っている浄瓶の水が行者を灌頂している、これらの瞑想の方法は秘訣なのです。真言を唱え、意念で瞑想金剛鈎を使う、これは密教の奥義です。「天人合一」のときは、行者の体に觸電の感受性が発生し、しかも堅明堅固な覚受が起きて、体全身が軽安に感じるのです。
召請咒使う以外にも金剛薩埵の真言を使う場合もあります。
真言・・・ 嗡 嘛哈沙媽耶 梭哈 (おん まはさまや そは)
金剛薩埵とは五大金剛持の総合化身です。五大金剛持は五方五佛ですから金剛薩埵は第六金剛持となります。「薩埵」の意味は「菩薩」です。龍樹菩薩が鉄塔を開いた時に、金剛薩埵と面見したため、金剛薩埵は金剛乗の伝承祖師になり、龍樹菩薩は人間界の祖師になるのです。
大禮拜
大禮拜は、最高の敬意と最大の虔誠心(けんせいしん)で佛を礼拜することです。
禮拜には、觀想大礼拜・五体投地大礼拜・全身大礼拝があります。大禮拜の意味は普礼(ふらい)なのです。普礼とは全ての佛に礼拜することです。普礼虚空十方三世佛一切菩薩、護法金剛、一切神衆なのです。
禮拜するときには必ず「天心」を觸(ふ)れます。「天心」を觸れることとは、最高に敬意を表す瞑想本尊の天心より白光が放射されて行者の天心を照しだす。スポットような白光が行者の天心から入って、白光が体の業を消していく事を瞑想することなのです。「喉頭」を觸れることとは、口の業を消す意味です。修法本尊の口より赤光が放射されて、行者の口を照らす。スポットような赤光が行者の口に入り、口の黒業を消していく事を瞑想するのです。「心輪」を觸れることとは、意識や意念の業を消すことになる。修法本尊の心より藍光が放射されて、行者の心を照らします。スポットような藍光が行者の心輪に入り意識や意念の業を消していく事を瞑想するのです。
全身大禮拜は、まず後頭を觸れてから天心・喉頭・心輪の順番に觸れていきます。後頭部を觸れるのは、後頭部の小脳神経が全身の気を調節する効能を持っていて体の五臓六腑を刺激するので、後頭部を觸れる事によって内臓の気をコントロールすることが出来るようになります。よって行者の内臓が堅固・丈夫になるのです。
しかし数え切れない十方三世佛・一切菩薩・護法金剛・一切神衆をどうやって觀想するのでしょう。觀想法は、まず自分が佛菩薩の前で頂禮している事を觀想します。その頂礼している自分の本尊の後、左、右、の光点が星みたいに無限無盡に光っている、その光点を十方三世一切佛・一切菩薩摩訶薩として観想・普礼するのです。摩訶薩の意味は廣大無辺の意味です。佛・菩薩・護法金剛が行者に廣大無辺な光で照らし出す。それは一番偉大功徳です。一番業を消せる功徳なのです。密教が即身成佛することが出来るのはこうした偉大な功徳があるからこそであり、行者自身が自己超越することが出来るからなのです。密教とは無上な大法であり、無上な礼儀であり、無上な智慧である。それゆえに佛果成就することが出来るわけです。
大禮拜の意味は、行者が完全に自己降服できるという事と、佛・菩薩の前に発露懺悔(はつろざんげ)することの意味を表します。身・口・意の全てを佛菩薩にささげる。一礼一普礼が一切の禮拜の功徳なのです。
偉大な宇宙意識に普く礼拜をする事は、行者が荘厳な心で佛菩薩に感恩することの表しです。身心霊を完全に放下し、自我を捨て、千千萬萬の佛光を受け、発露懺悔、身口意を捧げるとともに、願一切業障消除・願一切災難消除となるのです。この大禮拜は、最高で最も偉大で最有功徳の大禮拜法です。大禮拜を修行することによって身体健康にもなります。
密教修行は慧命(けいめい)双修です。「慧修(けいしゅ)」は苦行です。行者が座禅の中で精神を集中して定力を得る、たとえ病気になっても修行を続ける、座禅をする、美味しい物も口にしない、いい服も着ない、いろんな苦行の中で無上の智慧を得るのです。密宗は智慧を得るとともに身体も修行します。体を丈夫にする訓練、体の気の調和をとる訓練をします。身体が健康で元気だと宇宙の真理を知る精神力が出ます。それを「命修」といいます。「命修」は身体内部の修行、自己の体の「気」「内火明点・脈」の修行です。「慧命双修」、自分の身体が健康で元気だと智慧も発達する、体力があると寿命も延長できる、佛法の真理も得られるのです。命を大事にしない行者は慧を得ることができません。密教行者は慧命双修の中においてのみ自己本来の佛性が見えてくるのです。そして最終的に、自主生死、明心見性、涅槃静寂、成就佛果の究極境地に達するのです。
大供養
密教の供養には五供、七供、八供、二十一供、二十二供、二十七供があります。五供は「香、花、燈、茶、果」です。八供は五供以外に「塗香、沐浴水、如意螺」が増えます。行者は供養の時に供養印を結びながら、供養物に対してこのように観想してください。「供養物が一つから一列になり、一面になり、山になり、虚空になり・・・」。供養の対象となるのは、上供養根本上師・十方三世佛・一切菩薩・中供養・一切護法金剛・下供養・六道衆生(ろくどうしゅじょう)及び行者の先祖代々・宅地内地神・諸聖霊です。
供養偈・・・ 須彌四洲並日月化諸珍寶供養佛・種種珍奇諸功徳・消業速速證菩提
(すみししゅへいにちげつけしょじんほうくようぶつ・しゅしゅじんきしょくどく・しょうごうそくそくしょうぼだい)
真言・・・ 嗡 沙爾娃 打他架打 衣打木 古魯拉那 面渣拉 襟 尼里也 打那咪
(おん さあわ だたかt いだむ ぐるなら めんざら かん にりえ だえみ)
手印で天心を觸れることの意味は「転供養佛」の意味もありますが、恭敬の意味でもあります。行者は、供養印を結び、真言を唱え、觀想し、千千萬萬の供養物を実在に佛菩薩に供養します。それを密教では「實供養」と言います。實供養では実際にたくさん供養物をお供えします。廣大供養した行者は佛菩薩を前に懺悔を発露します、自分の煩悩を告白し、願い事を伝えます。 又、弟子達は上師にお包み・衣服・食物を供養します。上師は必ずその供養を行者の天心に戻します。その意義は第一上師があなたの供養を尊敬し、第二上師が自分の眉心より・白・赤・藍の三光で供養者に祈る・幸福・増益・敬愛・息災の光を与えます。そして千千萬萬の供養(お包み・衣服・食物)を供養者に送り返します。それを「変化供養」と言います。 佛に供養するときには誠心誠意を尽くすことが大事です。佛・菩薩・歓喜心で供養者の「真心」を受けたとき、佛・菩薩は歓喜心を持って願い事を叶えてくれるのです。形では佛・菩薩に供養するのですが、実在には大供養することによって逆に供養者は佛・菩薩の賜福を得られるのです。行者が佛・菩薩の前で大供養すると、四の御利益が得られます。
第一、「財」を与えられます。密教修行において行者が、佛・菩薩に大供養をすると、必ず行者に施主を与えます。施主は行者に佛像・佛具・壇城荘厳するための法器を寄贈するのです。行者が生活をするために必要な金銭を供養したり、行者が修行に専念できるように財源を与えてくれるのです。
第二、「道侶」・「道友」を与えられます。修行者は善知識がないと本当の智慧も得られません。佛法を共に学習する伴侶がいないと、お互いに励まし合うこともできません。善知識を持つ伴侶が側にいることで、修行上の「心得」を交換することができます。法を同修することが出来る「伴侶」がいないと、心が虚しいときがあります。修行する心も動揺しやすくなるのです。
第三、正しい「佛法」を与えられます。修行するには「明師」を選ぶのは大切です。しかし「明師」に出逢うことは簡単な事ではないのです。行者の「誠心」「求道心」「修行堅固な心」と「大供養功徳」がないと出逢えません。「明師」は正しい佛法を教え、佛道へ引導し、成佛の法をさず授けてくださいます。「正法」を賜らなければ本当の成佛へは到達することが出来ません。
第四、「地」―修行場所を与えられます。修行場所を選ぶのは非常に大事な事です。「霊気」の強い場所―エネルギーの強い場所を選ぶと佛・菩薩と相応しやすいのです。風水もよい・霊気も強い場所へと導かれるのです。「霊気」の意味は透き通ったエネルギーのことです。「財・侶・法・地」はどこから得られるのでしょうか。全ては大供養より生み出した功徳なのです。行者が密教を学ぶなら、まず大供養法(大曼達供、養法)を学ぶ事です。現世・今世の大供養、お布施が出来る人は来世においては「富貴中人」になることができます。四大天王の眷属になれる。財宝天王になれるのです。
四皈依
四皈依法を修行すると「依止力」を得られます。行者が根本上師の伝承を「依止」すると伝承力を得られます。「依止」とは、上師の教えに従うこと、しかも根本上師の教えだけに従うことです。上師に「皈依する」・一皈依の出来る人は真理を求める人だけです。一般の人は風の様にあちこちを彷徨い、一人の師匠に「依止」できません。真理を求める人は「明師」に出逢えます。上師に「不二心」を持ち、裏切ることがありません。四皈依法は「依止力」なのです。全ての法は全部、根本上師の伝承力と加持した中で生み出す力を「依止力」と言うのです。四皈依法には真言・手印・觀想があります。
この真言の意味は「皈依金剛上師・皈依佛・皈依法・皈依僧」・・・觀想、上師、三寶、経典、行者の前に表われ大白光に変じて虚空の中から行者の頂輪に灌頂します。行者は大白光が甘露水に変じたものを、全身に浴び、全身毛細血孔より黒気を出すように瞑想します。觀想が出来たら真言を唱えます。
密教の中には、上師と弟子の間に「戒」が存在しています。その「戒」は「三昧耶戒」といいます。弟子は密教上師を批評することはできません。密教上師を批評することは、自分の行いを隠滅するのと同じこと。人間誰でも欠点を持っています。その欠点があるからこそ、修行して円満に持って行きます。仏法を習うには密教上師の欠点を見ないこと。依止上師・恭敬上師・その皈依心の堅固さは簡単に破壊されません。この「三昧耶戒」を守ることで初めて上師からの伝承力をいただけるのです。伝承力をいただくには四皈依咒を十萬回唱えるのが基本です。
被甲護身
被甲護身の意味は行者が自身に防魔力・防護力を修持することです。
被甲護身の法は沢山あります。「睡夢大手印(すいむだいしゅいん)」・「三字咒(さんじしゅ)」・「眠光法(みんこうほう)」・「金剛杵防護法(こんごうしょうぼうごほう)」・・・は被甲護身法の一つです。(被甲護身法は上師からの灌頂が必要です。)毎日の修行時には、修持する被甲護身法は金剛合掌印を結びます。
真言・・・ 嗡波汝藍者利 (おんぽるらんつり)
7回唱え、印天心、印喉頭、心際、左肩、右肩、印頂上、散印。
手印・真言・瞑想は「三密合一」の修行です。手印は「身」の秘密・真言は「口」の秘密・瞑想は「意」の秘密です。身口意清浄は大日如来本来の秘密です。如来の秘密を口秘密・身秘密・意秘密に変じ、行者の三業(身口意業)を消除します。又、三密に替える、行者が凡人より如来に変じることが「梵我一如」・「佛我合一」なのです。
被甲護身は修行の時だけに必要な訳ではありません。寝る時や病院に行くとき、市場に行くとき、火葬場に行くとき、お葬式に行くとき、映画館に行くとき、人の家に入るとき、知らない寺院や神社に行くとき、結婚式や紅白喜事の時、など、全て被甲護身が必要です。特に寝るときに被甲護身をしないと、悪魔が行者の氣を盗む時がありとても危ないのです。氣が盗まれると、次の日は体がだるい、頭がはっきりしない、色魔が寄ってくる場合があります。毎日寝るときに被甲護身法を修持してから寝るとよいでしょう。被甲の意味は行者が印を結び真言を唱え、瞑想することによって、行者の体、衣服が盔甲になります。あるいは自身が金剛神になるのです。
一番良い瞑想の仕方は、行者は自分自身が大聖不動明王になることです。不動明王の背中の火焔は火龍になって空に昇ります、不動明王の前・後・左・右・に四大天王が立っていることを観想します。行者は不動明王となって自らを守るのです。
被甲護身の法、上記の以外にも寝るときなど、行者は気を鬼神に盗まれないため「睡夢大手印(すいむだいしゅいん)」を使うことも大事です。睡夢大手印はまず、体を獅子ように 横になる。観想本尊あるいは上師が、行者に光を照らす。行者は喉輪より赤光を放射、その赤光があかや赤帳(赤いかや蚊帳)となり行者を守護する、行者の四方には金剛神が立って行者を守護することを観想。そして行者は金剛咒を唱える。
金剛咒・・・ 嗡 烏輪尼 梭哈 (おん うるんに そは)
を寝るまで唱え続ける。あるいは光明真言、金光神咒、百字明咒、金剛薩埵の真言
真言・・・ 嗡 別炸 薩唾啊 吽呸 (おん べざ さどあ ほんぺい)
毎日、寝る時に「睡夢大手印」法を修持すると必ず金剛神に守護される。しかも「睡禅」に入る光の中に 過去・現在・未来の事が映像みたいに見えてきます。行者である以上「睡夢大手印」を是非修持するべきです。
睡夢大手印法以外、寝るときの護身防魔法で「三字咒」も大切な法の一つです。「三字咒」の修行法は寝る時どんな姿勢でも良い。行者自身の手と足の指が長く長く伸びていくこと、行者の頂輪も長く長く伸びていくことを観想。そして膝から頭頂までが五鈷杵の中心の形になる、頭が五鈷杵になる、足の指が五鈷杵になるように観想。観想できたら三字咒を寝てしまうまで唱える。
三字咒・・・ 朗 養 康 (らん やん かん)
「康」・・・の意味は堅固、不壊、堅強の意味です。この法を修行すると長生きできる、除魔、破魔、一番の防御力です。悪魔があなたを咬むと五鈷金剛杵を咬むことになる。行者が被甲護身を毎日修行すると必ず金剛神に守護される、魔障が起こらない、佛果を得られます。



